プラハの空港について、チェコの地を踏む。この国の9月末の平均気温は11度くらいだ。チェコ共和国は首都プラハ、面積約8万km2で、人口は約1000万人と日本の約10分の1で、東京都と同じくらいの人口だ。ヨーロッパの国にしてはめずらしく、宗教をもっていない人が多いらしい。1993年にスロバキアとの連邦を解消した。チェコ出身の日本での有名人は東京オリンピックで活躍したザトペック、チャスラフスカ、それから、テニスではマルチナ・ナブラチロワ(1975年にアメリカに亡命)、イワン・レンドル、ハナ・マンドリコウワ、ヤナ・ノボトナなど、そして音楽家では「新世界より」を作曲したドボルザーク、「モルダウ」の作曲者スメタナなどが知られている。
空港でパスポートチェックを受け、荷物が出てくるまでの間に、阪さんに「3000円程度、両替することをお勧めします。」といわれたので、勧められたとおり3000円分両替をする。空港内にはいくつか両替商があるが、どこも日本円からのレートは同じだった。ここでは日本円の両替が可能だ。交換レートは3.108で、3000円出して、965コルナを受け取る。同じツアーの他の人たちが両替をしている間、空港内で何枚かの写真をとる。旧社会主義国の空港などで写真を撮るのは厳禁だが、ここでは大丈夫のようだ。多分。

空港にある広告にはなぜか全て、×印がつけられている。空港を出たところにバスが待っており、日本語ガイドの小島さんを紹介される。その後バスに乗り込むが、阪さんが「後ろの方に乗って下さい」といったにもかかわらず、ほとんどの人が前に乗り、阪さんに「前のほうに座っていると事故の際、保険がおりないので。」といって、これが本当なのかどうかわからないが、後ろの座席に座らされる。バスは結構広く、1人あたり2シート分くらい使ってゆったりと座れる。ツアーなので、補助椅子も入れてぎゅうぎゅうに詰め込まれるのかと思ったが、そうでもなかった。とりあえず、後ろから2列目の左側に座ったが、何度かこのツアー中バスを乗り換えることになるが、どのバスでもこの後ろから2列目の左側が定位置になり、バスに長い間乗るツアーに行ったときは、最初にバスに乗る座席だけは早くキープしたほうがいい、という教訓を得る。今後役に立つかどうかわからないけど、日本のバスツアーなどでも同じことがいえそうだ。バスの中でガイドの小島さんから、チェコの歴史、地理などのほか、スリなどに対する注意事項や、犯罪例などの説明を受ける。そうこうしているうちに、30分ほどで今日の宿泊先であるWIENNA HOTELに到着する。

ガイドの小島さんの話によると、ここプラハは訪れる人と施設の需供バランスがとれていないため、世界一、ホテル代が高い町らしい。ツアーによっては、プラハ市内にホテルを取れないこともあるそうだ。言い訳がましくも聞こえたが、そういったわけでここWIENNA
HOTELは、中心部から少し離れた郊外の住宅街にあった。ホテルに到着したときは、ちょうど帰宅時間になっているようで、バス停に止まっている路線バスから、サラリーマン風の人や、学生がたくさん降りていた。チェックインをすませ、割り当てられた112号室へ行くと、ベッドの上にコインがおいてあり、なんとそれはチョコレートだった。しばらくするとボーイが部屋に荷物を届けにきて、チップとして$1を渡す。
特にすることもないので、付近を散策することにする。阪さんとホテルのエントランスであったが、向かい側の住宅街にいそいそと消えていった。住宅街なので、近所にめぼしいものはないが、来るときにバスの車窓から見えたガチャガチャのおいてある店へ300mほど歩いて行く。途中には廃墟になっている公民館のようなものがあった。店には毒々しい青系の色をしたアイスや、ハム、ソーセージなどの肉、パンやジュースなどが山積みにされて売っていた。当然、英語すら通じないが、12コルナ(約40円)のビール1つと、16コルナ(約50円)のビール2本、ドクターペッパーなどを購入する。日本のようにビニール袋に入れてくれるわけではないので、それらを両手いっぱいにかかえてホテルに戻る。
チェコはビールの特産地だ。それまでビールといえば茶褐色の黒ビールだったが、1842年にこの地で偶然黄金色のビール(現在、日本で飲まれているビール)が誕生し、ピルゼンの奇跡と呼ばれた。ピルゼンの水が超軟水だったためらしいが、その後の技術革新により、どこの国でも水質に関係なく黄金色のラガービールが作られることになる。名物にうまいものなしともいうが、チェコのビールは味も濃く、缶ビールでも本当においしい。
夕食はついていないが、あまり食欲はなく、結局ビールが食事代わりとなる。長旅の疲れで7時には爆睡するが、時差ボケのせいか朝3時には目が覚め、そこからはあまり深い眠りにはつけずに、ベッドに横たわってうつらうつらする。
チェコとはいえ、朝起きたら虫になっていたなどというカフカ的なことはなく、朝6時30分に起床し、7時に朝食を終える。集合時間の9時まで少し余裕があったので、再び昨日の店を訪れる。8時すぎの比較的早い時間であったが、ラッキーなことに店は開いていた。その店にあった一番高い72コルナ(約220円)のワインや6.50コルナ(約20円)のオレンジジュースなどを購入するが、あいかわらず袋はくれない。ホテルに戻る途中、勝間夫妻が道でビデオ撮影をしていた。部屋に戻り、一応、スーツケースの鍵をかけ、枕銭として、1ドル札を置いておく。

9時の集合時間となる。当然のことながら、寝坊して遅刻する人などいない。ガイドの小島さんもホテルの前で待っている。バスに乗るが、暗黙の了解でバスの中で座る場所は前日座ったところにだいたい決まってしまう。結局、この旅行中、どこの国へ行ってもたいてい後ろから2列目の左側に座ることになる。勝間夫妻は一番前がお気に入りのようだ。バスはカルルシュタイン城を目指す。小島さんの話によると、カルルシュタイン城までは約1時間ほどで着くらしい。途中、アメリカという地名のグランドキャニオンに似た渓谷を通りすぎる。きっと本場のグランドキャニオンはもっと壮大なんだろうけど。カルルシュタイン城へ向かう道はまさに田舎道でひたすら平原が続いている。
カルルシュタイン城はプラハの南西約25kmにあるゴシック様式の古城で、ボヘミア王で、かつ、神聖ローマ帝国皇帝であったカレル4世によって14世紀に建てられたものである。当時は王族の住まいや財宝を管理する城として使われていたらしい。財宝を隠すという目的もあったため、下の国道からは見えずらくなっている。小島さんと阪さんはそろって、歩くととても疲れて後の観光に差し支えるため、馬車かタクシーを使ってほしいと力説するので、150コルナ(約480円)支払い、馬車に乗ることにする。結局勝間夫や、新田夫、小林さんなど数人が歩いて行き、残りの十数人が馬車に乗る。タクシーに乗る人は誰もいない。ちなみに、タクシーに乗ると全然別ルートを辿って城に行くらしく、そこからの眺めも素敵らしい。阪さんが馬車、小島さんが徒歩と別れて行くことになるが、馬車もあまり役にたたず、肝心な最後の急な坂道の手前で「ここまでですから降りてください。」といわれる。仕方なく、急な坂道を登り、カルルシュタイン城に到着する。
入場は予約制のようで、まだ予約時間に20分ほどゆとりがあったため、阪さんが休憩時間を宣言するが、ガイドの小島さんはそれが気に入らなかったらしい。「阪さんが全部仕切って説明してくれるのかよ。」と阪さんに対して怒っていて、その後、険悪なムードになりつつあった。やれやれ。そんな主導権争いに構っている余裕はないので、おみやげ屋を覗いたり、景色を楽しむ。白ワインを試飲させて売っている人もいる。せっかくなので、記念にカルルシュタイン城のバッチのようなものを購入する。

カルルシュタイン城の中を写真撮影するのは50コルナ(約150円)が別途必要で、ビデオ撮影は1450コルナ(約4500円)が必要らしい。写真とビデオで随分値段が違うものだ。カメラがたくフラッシュのほうが展示品には悪そうな気もするけど。50コルナで写真撮影チケットのようなものを購入するが、特にチェックは受けなかった。きっと黙って撮っていても問題ないのだろうが、一応ここのツアー客はモラルがあるらしく、きちんとお金を払った人だけが撮影をしていた。チケットを買ってない人が撮影すると多額の罰金を取られるというアナウンスも効いてるらしい。まだ最初の国でお互いの様子を探っているということもあったのかもしれない。カルルシュタイン城は国営なので、国家公務員の門番がいる。イタリア人の修学旅行生が落書きをして改装中とのことで、残念ながら聖マリア礼拝堂を見ることができなかった。また、数か月前に団体が見学したため、底が抜けたという場所もあった。死傷者が出たかどうかが非常に気になったが、それについての説明はなかった。王冠をかぶったまま王様が歩けるように、扉の上側の中央だけがくりぬかれているのがこの城の特徴だ。また、基本的に石造りだが、木でできた橋があり、敵がせめて来たときはこの橋を焼いて、時間をかせぐという造りになっているとのことである。この城は建立後600年近く経つが、まだ、そういう事態にはなっていないらしい。残念なことに、先にその橋の寿命がきてしまい今では通れなくなっている。その他1時間ほど、城の内部を見学する。見学中、写真を撮ろうとして後ずさりしたらブザーがなってしまう。展示箇所には赤外線センサーのようなものがつけれらていて、ちょっとでも線の内側に入るとブザーが鳴り響くようになっているようだ。
見学を終え、下り坂を歩きながら、バスのある駐車場へ向かう。駐車場まではおみやげ屋が並んでいるが、残念なことにおみやげを見てる時間的ゆとりはない。途中、パトカーなどがあり、記念撮影をする。また、おみやげ屋の店頭で、450コルナ(約1500円)で素敵な傘を発見したが、長さ的にトランクには入りそうもなく、これからの旅程が長いので、結局あきらめた。今となっては買っておけばよかったと少し後悔している。駐車場にあるトイレに入る。トイレチップは5コルナ(約16円)だった。もちろん、アピールすればお釣りももらえるらしい。トイレでは、先ほど乗った馬車の馬に水を飲ませている。バスに着いたのが、一番早かったので、アイスを買いにいくことにした。エスキモーアイスは24コルナ(約80円)、ジュースは自動販売機で25コルナ(約83円)だった。自動販売機はコインしか使えない。結局チェコで自動販売機を見たのはここだけだった。
再び、バスに乗り、プラハ中心部に戻る。プラハの街並は本当に美しい。真っ先に石畳が目に着く。馴れるまで歩きにくいが、伝統と重みを感じさせる街並である。
まずはレストランへ行き、昼食を食べる。石でできたアーチ型の部屋になっており、いかにも中世のヨーロッパという感じのたたずまいで、なかなか素敵な場所である。メニューはスープ、豚肉、パンケーキで、味はいまいちだが、ツアーの昼食なのでまあ仕方がない。ドリンクは別料金で、ソフトドリンク、300mlビールが40コルナ(約120円)、コーヒーが50コルナ(約150円)、500mlビールが70コルナ(約220円)といったところである。観光客向けの高級(?)レストランでのドリンクが120円〜200円ほどなので、物価は日本の1/5〜1/10ぐらいだ。トイレにはトイレチップを入れる皿が置いてあるだけで、まだこのスタイルに馴れていないせいか、チップを置いて入るツアー客は誰もいない。さすがに、無防備に皿においてあるチップを取っていく人もいない。
食事を終えると小島さんの先導で、そこから歩いて5分ほどのプラハ城へ向かう。プラハ城前の広場でプラハ城についての説明を受ける。
小島さんの話によると、門番の身長は175cmと決まっていて、その身長で採用試験を行うらしい。多少の誤差は帽子で調整が行われるとのことである。誰かが、「外に立っている門番より、中にいる門番のほうがカッコイイという話を聞いたんだけど。」と小島さんに質問するが、小島さんも、「男に興味があるわけではないので、さすがに門番の顔まで覚えていない。たいしてかわらないと思うけど。」と笑っていた。それにしても1日中立っているなんて退屈な仕事だ。今のご時世では敵も来ないだろうし、万が一敵に襲われても、門番1人や2人ではどうしようもない。門番に触ると銃で撃たれるか、銃剣で刺されるので注意してくださいと脅され、門番の横に並んで写真を撮る。門番と写真を撮るのも順番で、結構待たされ、隣に立ってカメラを向けてもにこりとするどころか、微動だにしない。何人くらい門番がいるのかわからないが、きっとヨーロッパのチェコを訪れた家のアルバムにはこの門番の写っている写真がたくさんあるんだろう。年齢も20代中盤から30代前半の人しかいないようだ。もう少し年をとるとこの門番はどんな仕事をするんだろう。写真撮影のため、10分程度の休憩時間を取るが、「ここはスリが最も多い場所なので、気を付けるように。」と警告を受ける。小島さんも「顔見知りのスリを見つけたら、呼びかけるので荷物を抱えて、僕の方に走ってきて下さい。」といっている。小島さんには顔見知りのスリがいるらしいが、残念なことに会うことはできなかった。門番と一通り写真撮影をした後、門をくぐる。
門の上には、18世紀後半にイグナーツ・プラツェルによって作られた「戦う巨人たち」があるが、現在あるのは複製らしい。悪いココロを持っている人はこの巨人のヤリにさされるか、棍棒で叩かれてしまうらしいが、残念ながらこの入り口にいた20分くらいの間にこの戦う巨人のヤリに刺された人はいなかった。みんなきれいなココロの持ち主かどうかはわからないが、この付近にたくさんいるスリも含めて、少なくとも悪いココロは持っていないらしい。当然のことながら、ヤリにさされたり、棍棒で叩かれたりせずに、門を通過する。これで、少なくとも悪いココロを持っていないことが証明された。
門の中には大統領旗が掲げてある。この大統領国旗が掲げてあると、大統領がこのプラハ城にいるという証らしい。バーツラフ・ハベル大統領はかつてノーベル平和賞を受賞した日本でもとても知名度のある政治家だ。フランク・ザッパを国賓として招いたり、ミック・ジャガーと深夜まで飲み歩いたり、クリントンとビアホールで談笑したりと、市民感覚を前面に打ち出した政治家らしい。
ここで小島さんからハベル大統領の説明を受ける。バーツラフ・ハベルは富豪の御曹司として生まれたが、チェコスロバキアで共産党が一党独裁体制をひくと、「ブルジョアと名の付くものは人民の敵である」という政策により、財産を没収され、郊外へ追放されてしまった。その後、「プラハの春」では、民主化運動に積極的に参加し、戯曲「通達」がニューヨークで初演される。しかし、ワルシャワ条約機構軍が軍事介入すると、戯曲の上演禁止や著作物の出版禁止など、弾圧の対象となった。さらに、「憲章77」の運動に続けて「不当弾圧被害者救援委員会」を結成すると、これまで以上に弾圧が厳しくなり、懲役4年半の実刑判決を宣告される。しかし、1989年11月にビロード革命が起きると、数十万の国民の目の前で演説を行い、「ハベル」コールの下、反体制の劇作家から転身し、大統領に就任したとのことである。
プラハ城はボヘミアの歴代王の居城で、9世紀半ばに建築がはじまり、カレル4世の頃にはほぼ現在の形になったらしい。プラハ城に入り、大統領府などを見学し、広場へと進み、今度は聖ヴィート教会を眺める。教会の一部は工事中だ。
聖ヴィート教会は930年に建てられ、1344年にゴシック様式に改築された。中には目映いばかりのステンドグラスがあり、アールヌーヴォー様式の画家の作品などもある。
聖ヴィート教会を抜けると、ロマネスク様式の聖イジー教会がある。ここは音響がよく、音楽ホールとしても利用されるらしいが、体育館風の建物で、パイプ椅子のような椅子が並べられてあるだけだった。この教会のベランダから、プラハの街並を眺め、地区などの説明を受ける。どこの屋根も朱く、とても趣きのある街並みだ。
プラハ城を出て、中世には錬金術師などが住んでいたといわれる黄金の小路へ行く。そこには、カフカが1916年から1917年まで下宿をしていたという建物がある。青い壁でNo.22とついており、現在はおみやげ屋になっている。また、あやしげな鎧冑屋などもある。ここで10分程度のトイレ休憩をとり、雑貨屋で、5コルナ(約15円)の絵葉書を購入する。
休憩を終えると、さらにカレル橋へと坂道を下る。路面電車も走っており、壁に小錦やウォーホルの落書きがある。小島さんの話によると、小錦がここを訪れたときは、あまりにも似ているため、落書きと記念撮影をしたらしい。また、駐車違反で車止めを付けられている車もあった。
15分ほど歩いてカレル橋の中州にあるトム・クルーズ主演のミッション・インポッシブルのロケ地であった場所へ行き、トム・クルーズと同じ経路を辿って、カレル橋に昇る。カレル橋はヴルタヴァ(ドイツ名:モルダウ)にかかるプラハ最古の石橋で、1357年にカレル4世の命によって着工し、約60年かけて完成されたゴシック様式の橋である。全長約520m、幅は約10mで左右の欄干に15体ずつ計30体のバロック様式のジーザスやフランシスコ・ザビエルをはじめとする聖人像(銅像)がある。
カレル橋の銅像の中には5つ星の聖ヤン・ネポムツキー像があり、そこに手をつけてお祈りをすると願いがかなうそうなので、「金が欲しい」と願いをかける。そこはみんなが手を触れるので順番待ちだが、そこだけが金色に輝いている。再び、ここでフリータイムになり、橋の反対側で待ち合わせをする。
フリータイムを終え、旧市街に入ると白い布のようなものをまとった怪しげな新興宗教らしき集団が、大声を上げて団体で徘徊している。どこの国にも一定の割合でこういう人はいるようだ。旧市街では、東京オリンピックの体操で金メダル3つと銀メダル1つを獲得したヴェラ・チャスラフスカさんの店に向かう。チャフラフスカさんは東京オリンピックの次のオリンピックで、プラハの春のワルシャワ条約機構軍介入の2か月後に行われたメキシコ五輪でも金メダル4個と銀メダル2個を獲得し、2大会連続の個人総合優勝を果たす。しかし、このメキシコ五輪凱旋後、「二千語宣言」に署名していたため追放されるが、1989年に名誉を回復し、現在はチェコのスポーツ界を指導しているそうだ。
店に着くと、小島さんが3%引きの券をくれる。きっと誰の紹介で買ったかが分かるようになっており、バックマージンが入るシステムになっているのだろう。もちろん、チャスラフスカさんはいない。ボヘミアガラスとアメジストが中心だが、相応の品物にしては安いのだろうが、それでも簡単に手が出る価格ではない。特に欲しいものもないが、あまり遠くへ行かれない。仕方なく、店の近辺をうろうろするが、喉も渇き、だんだん疲れてくる。
店で20分ほどのフリータイムを取った後、旧市街広場へ行く。旧市街広場から見えるゴシック様式の代表的建築ティーン教会はいかにもチェコらしい風景だ。実際の名称は「ティーン(税関)の前の聖母マリア教会」というらしい。この教会は15世紀半ば、フス派の本拠地として機能していたらしい。旧市街広場にヤン・フスの銅像があるが、ヤン・フスは、ローマ教会の堕落を批判したため、ローマに召喚され、異端として1415年に火あぶりの刑に処されてしまった。その後これに怒ったフス派が蜂起し、以後、カトリック教会と戦いを繰り広げたのがフス戦争だ。フスは今でもチェコの英雄らしい。火あぶりにされず、幽閉されただけなら戦争は起こらなかったのかなどといろいろと考えてしまう。
その後天文時計の前に行き、説明を受ける。旧市街広場の天文時計は15世紀につくられ、今でも当時の姿のまま動いている。上の時計が地球、太陽、月などの動きを表し、年月日と時間を示して1年かけて1周する。下の時計が農村の四季の作業が描かれた暦で1日に1目盛動く。定時になると、死神が鐘を鳴らし、キリストの12使徒があらわれ、最後に鶏が鳴く。この天文時計を作ったカレル大学の数学者ハヌシュは2度と同じ時計が作れないよう両眼を潰されてしまったらしい。
説明を終えると、これで小島さんの役目は終える。小島さんが立ち去ると同時に1時間ほどのフリータイムに入るが、疲れているため真っ先に広場中央にあるオープンカフェでジュースを飲むことにする。フレッシュオレンジジュースが65コルナ(約200円)でチップ込みで75コルナ(約240円)請求された。オレンジジュースは目の前でオレンジをジュースにしてくれるため、フレッシュでとてもおいしい。十分リフレッシュしたが、特に行きたいところもないので、とりあえず近くにあるCD&本屋に入る。ここで厳重に鍵をかけてしまってあるチェコの見所を英語で紹介したWINDOWS用のスクリーンセイバーを見つけ、なんとか見振り手振りで店員にそのCD-ROMを出してもらいカードで購入する(後日来たクレジットカードの請求明細では3303円だった)。この国の物価にするとかなり高いものなのだろう。

まだ、時間の余裕があったので、ユダヤ人街を見学することにする。小島さんや阪さんはツアー客の質問に対し、「この辺にはスーパーはありません。」といっていたが、Diorやエルメスなどの高級店の谷間にスーパーらしきものを見つけ、中に入ってみる。しばらくすると、新田夫妻と藤村さんが入ってきた。中には100%オレンジジュースが8.9コルナ(約30円)、今朝、買ったオレンジジュースが5.9コルナ(約20円)、その他、日用雑貨などが売っている。そこで500ml入りのペットボトルに入った緑茶を見つけ19.20コルナ(約60円)で3本購入する。
スーパーを出ると7時のカラクリ時計の定時が近づいてきたので、7時から天文時計の前に戻り、仕掛けを見るが、暗くてよくわからない。集合時間の7時20分にはまだ余裕があったので、近くのベンチに座って、先ほど購入した緑茶を飲んでみる。なんとこの緑茶には、砂糖とレモンが加えられ、緑茶の渋みも加わってとても飲めるようなものではなかった。集合時間にはまだ7〜8分ほどあったが、ベンチに座っていても仕方ないので集合場所へ向かうと既にみんな集合している。どうやら7時10分が集合時間だったらしい。さりげなく近づいて点呼時には既にいたようなふりをし、なんとかごまかす。
阪さんが全員揃ったことを確認し、そこから歩いてペリカンという名前の店へ向かい、そこで夕食を食べる。メニューは前菜、チキン、プリンでビールとコーヒーがあらかじめ料金に含まれていた。ピアノ系1人、バイオリン系1人、チェロ系1人、ダンサー2人でさえないショー(チェコの民族音楽とダンスを楽しむフォークロア・ディナーショー)を見せてくれる。われわれが日本人とわかると「上を向いて歩こう」を演奏してくれるが、あまり上手ではない。この後「上を向いて歩こう」は、どこの国へ行っても聞かされ、そして、その度にチップを要求されることになる。どうやら、国際的に認知されている日本の音楽は「上を向いて歩こう」だけらしい。
「プラハの夜を探索したい人はタクシー乗り場を教えますがどなたかいらっしゃいますか。」と阪さんが尋ねる。結構疲れていたのと、9時を回っていたので、そんな元気はなかったが、何人か興味を示す人もいて、「安全なタクシー乗り場は、インターコンチネンタルホテルか、ヒルトンホテルのボーイさんにタクシーを呼んでもらえば安全です。」と教えられる。英語すら使えない場所でタクシーに乗って帰るのも一苦労だと思ったのか、結局みんなバスに乗ってホテルへ戻ることにしたらしい。
ヴァーツラフ広場を通りすぎ、バスが待っているところへ向かう。ヴァーツラフ広場は、プラハの春の際ヤン・パラフがワルシャワ条約機構軍介入に抗議して聖ヴァーツラフ騎馬像の前で焼身自殺を図った場所である。種ともこ流にいえば「戦車に立ち向かったあの日も過ぎていく 数百万の夢は閉じ込められたまま」、で宙也流にいえば、「すべては語り尽くされ 物語は血みどろの結末(エンディング)」ということになるのだろうか。そしてその20年後、100万人にものぼるプラハ市民がここに集まり、無血革命であるビロード革命を果たした場所である。
バスの車窓からライトアップされたカレル橋を眺めるが、やはりとてもきれいだ。ちなみにカレル橋のライトアップはハベル大統領がミックジャガーに頼んで実現したものらしく、電気代はローリングストーンズが負担しているようだ。さらに、国民劇場の前を通ると、馬車に乗って劇場へ向かう人がいる。まるで中世の御伽話に出てくる舞踏会の夜のようだ。阪さんの話によると、一般市民でもオートクチュールのドレスのようなおめかしをして、馬車で劇場に向かうらしい。この劇場は国民の寄付により1881年に完成したが、落成式直前に火事で焼けてしまい、再度寄付金が集められ2年後の1883年に完成したとのことである。
プラハ市街から30分ほどかけてホテルに戻ると時計の針は10時近くを指しており、テレビをつけると、なんと「アタックNo.1」がやっている。なんとなくストーリーの察しは着くが、チェコ語なのでとても違和感がある。チェコのTV番組はチャンネル数がとても多い。社会主義時代は国営放送しかなかったらしいので、これも自由化の反動だろうか。また、ベッドに入ってすぐ熟睡してしまったのでわからなかったが、阪さんの話によると、チェコの一番視聴率の高い番組は、10時から4チャンネルで放送される天気予報らしい。この番組は普通の天気予報ではなく、全裸の女性が出てきて、序々に服を着ていき、明日どの程度の服を着ればいいか教えてくれるというものらしい。結局、この番組は中欧滞在中は見れなかった。
朝4時30分に起床し、6時15分に荷物出しをし、朝食のバイキングを食べる。阪さんは友人が来ていたようだ。バスの運転手(ハンガリーからはるばるやってきたらしい)に、「BAN、BAN」と話しかけられるが、阪さんが食事に来たのはそれからしばらくしてからだった。特に人数のチェックもしていないため、阪さんの友人も一緒に朝食を食べている。もちろん、あらかじめ余計に予約していたのかもしれない。出発時刻は7時だったが、ラッキーなことに7時開店のホテルの売店が6時55分頃空いたため、8コルナで切手を購入し、日本の自分の住所に宛てて手紙を出す。日本円にして25円くらいと安いものだ。どこの国に行っても、郵便料金は日本と比べて非常に安く(アメリカですら33¢と約40円くらいだ)、どうして、こんなに日本の郵便料金が高いのか謎である。
7時に集合し、定刻通りバスで出発する。バスの中では阪さんが運転手さんが眠くなるといけないのでと断ってカリンカなどの民族音楽のようなものが流れているFMのようなものをかける。その国々の音楽を聴くのもいいかなとは思ったが、あまり好きな音楽ではなかったので、日本から持ってきたMDを聞くことにする。やっぱり自分の好きな音楽は落ち着く。
2時間くらい走って、スロバキアとの国境手前のドライブインというかコンビニ併設型ガソリンスタンドのようなところで休憩をとる。まず、トイレに入るが、トイレチップは取られなかった。ここで、バドワイザービールと手榴弾型のスポーツドリンクを買い、チェコの外貨であるコルナを使いきる。阪さんはこのバドワイザー2本だけがこの旅行の旦那へのおみやげらしい。バドワイザーは日本やアメリカで売っているバドワイザーと違う会社のものだ。長い裁判のすえ、ヨーロッパではチェコのバドワイザービールのみ、アメリカやカナダではアメリカのバドワイザーのみを売ることになったらしい。
その後数十分でチェコの国境につくが、パスポートにスタンプも押されぬままあっさりと超えてしまい、阪さんも拍子抜けしている。阪さんが無事、出国しましたというとバスの中では拍手が沸き起こる。てっきり、チェコの出国とスロバキアの入国が終わったものだと思っていたが、この後スロバキアの入国のため、チェコとスロバキアの国境で1時間近く待たされることになる。
後で聞いた話によると、この2日後の10月2日からチェコは雪につつまれたそうだ。
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